この「愛される努力」を怠っていないか

 人望ほど、合理的で着実な拠りどころはない。一人の人間を押し上げる
のは、人々の好意であり、愛情であり、善意だ。

 そういったものを手に入れるのには、どうしたらいいのだろうか。それ
にはまず、手に入れようと努力することが大切だ。今までに努力しないで
得られた人はいない。

 人々の好意や愛情と私が言うのは、恋人間の感傷的な感情や、友人間
の友愛のように、近し間柄だけに限られるのとは別のものだ。私たち
が、様々な人間とかかわりを持つ時に、その人に合った喜ばせ方を
することによって手に入れられる、もっと広範な好意、愛情、善意
のことだ。

 こういう好感情は、その人の利害と対立しない限り、いつまでも続
くものだ(それ以上の好意を望んで得られる相手というのは、家族も含め
て、せいぜい三人いるかいないか、といったところではないだろか。)。
 
 この私が、今までの四十年以上の経験を持って、二十歳から人生をやり
直せと言われたなら、私は人生の大部分を、できる限り多くの人々に
愛される努力をすることに費やしたいと思う。

 かつてのように、自分に顔を向けてほしい男性や女性の心をつかむこと
にのみ専心して、ほかの人はどうでもいいという態度を取るのは、是非やめ
にしたい。万一、自分が狙った人物の評価がまちがっていたら(これが、
能力ある人間には実によくある話なのだ。)、ほかの人は怒らせてしまっ
ているし、どちらを向いたらいいのかわからずに、路頭に迷ってしまう。

 それよりは、多くの人々から好かれ、そのなかでぬくぬくとしている
方がいい。それが一番大きな後ろ盾だ。男性でも女性でも、人間という
ものは、人望に弱いものだ。人望のある男性には、不思議と心ひかれる
ものだ。

 人望を集めることは、そう難しいことではない。優雅な身のこなし、
真剣なまなざし、ささやかな心遣い、相手の喜ぶ言葉、雰囲気、服装など、
ほんのちょっとの行為がいくつも集まれば、相手の心をつかむこと
はできる。

 私がこれまで会った人々のなかには、見かけは美しいが、少しも私の心
をとらえない女性、思慮分別はあるのだが、どうしても好きになれない人
物がたくさんいた。どうしてだか、もう君にはわかるだろう。そう、そ
の人たちは、自分の美しさ、能力に自信があったために、人の心をつか
む術を身につけることを怠ってしまったのだ。何という大きな過ちだ
ろう。

 私は、あまり美しいとは言えない女性と恋をしたことがある。しかし、
その女性は気品にあふれ、人を喜ばせる術、心をつかむ術をよく心得て
いた。私は、自分の生涯で、この女性と恋をした時ほど、夢中になった
ことはないような気がしている。