2/9 今日の修行(人のヨガみてて思う事)

今日はスマーティ。連続でアシュタンガはキツいので。
しかし、一回火が消えたらモチベーション保つのきつい
な。その先がないという答えも出してしまってるのも
ある。
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昨日も当たり前のようにヨガやったが、アサナへのこだわ
りってなんだろな。と思う。いろいろできるように執着
した結果、できるようになったが、その先はないなと悟り、
代替医療やら自分の体の治療をして、浄化法としてのヨガは
昨年で完成の域に達した。まぁ、それで老化が止まるとか
病気にならないとか死なない訳ではないが、かなり効果は
あるだろう。

で、精神的には原始仏教の教えがしっくりくるので、苦しみ
を無くすのは無理でも減らす事くらいはできる(心の在り方
という事。)という事で、また違う修行をしようというのが
今年のテーマ。

で、ヨガねたです。

レッスン前後にアサナの練習をしてる人をみると、この
アサナができるようになりたいとか、柔らかくなりたい。
とかそういう気持ちが見える人いるが、羨ましいとこがある。

私が思うにその気持ちというか気力というか、エネルギー
がないといけない世界ってのがあるから。

私も最初は絶対にできるようになる。と覚悟決めてやったから
ここまで来れたと思うんだが、反面、今は爆発的なエネルギーが
湧き出てこないのでここは何とかせんとなぁと。どんどんアサナ
ができなくなっていく、、、ので、少し頑張って執着心だそう。

執着するな。とかヨガではよく言うけど、私は執着するから、
執着が薄れていくのだと思う。

執着する=執着しない

で、完全に執着が無くなったら、何をする気にもならないと
思うよ。

そういう意味で、アサナが上手くなりたい!とか柔軟な体に
なりたい!と思う心は大切に育てていい。

と私は考えてる。特に若い人はそうでなくては位。

昨日もシルシアサナの練習を壁際でやってる人みて、いいなぁ。
と思った。まぁ、そういう人をあれこれ言う人も必ずいるわけ
だけど、私はアサナができるようになりたい。という人がそういう
のを前面に出してやってるのは概ね好意的に見ている。

まぁ、昔の自分を見てるようだけど。で、できたとしてその先は?

と問いかける事はしない。やりたい人はそのままどこまでもどうぞ。
というのが私のスタンス。

どこまでやるか?は自己満足の世界だから納得するまでやれば
良いんですよ。外野が決める事ではない。

まぁ、そんなこんなでずっとやってて、ヨガキチ扱いされてる
ようなとこあるけどね。

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