2010/7/17/18 Fさんとの富士山登山の思ひ出

話をしよう。あれは今から約5年前の事だったか、富士山に登った。

当時は山登りなど興味はなく、アホのやる事。何が楽しいのやら。と
いう人間だった。

で、なんで登る事になったか?だが、会社の取引先の方(Fさんとしてお
く。)が定年退職した直後にすい臓がんになられた。すい臓がんは沈黙の
臓器という事で予兆はなかったのだろう。背中が痛いという事で、病院
で検査をしたらすい臓がんが見つかった。

定年退職前に明るい退職後のプランを2時間くらい(俺らの時はそんな
に年金とかもらえねぇよ。)延々と聞かされたのだが、定年退職直後に
がんが発覚し、即手術という運びになったのは皮肉な事だ。

その方が山登りが好きで、がん発覚前に大阪に来られた時に会食で富士
山に登ると言っておられ、私も自分では覚えていないが、ご一緒します。
というような事を言ったのだと思う。

で、後日、Fさんが富士山に登る。と言われています。KOJIさん、大阪で
あぁ言われてましたが、本気ですか?と同僚の方(この方も同席されて
いた。)から聞かれた。本気でないなら適当に断っておきますよ。と言われた
が、お見舞いに行った際に本人から、すい臓がんの5年生存率とか聞かされて
いたし、あぁ、もう悟ってるなという印象も受けた事を思い出した。

実際、発覚する前は飲みに行ったら、1時間くらいは説教を食らうなど、
アクの強いおっさんという感じだったのだが、闘病生活が始まった中で、
憑き物が落ちたように人が変わりとても穏やかになられた。私が話を
聞くに大病になると人間変わるようだ。

で、話を戻す。私は最後の思い出という訳ではないのだが、

行きます。

と答えた。Fさんは独りでも登るつもりだったらしいが、言った手前
と5年生存率の事もあり、断りにくいというかFさんが行きたいと言っ
ているのだから、私も登った事ないし、付き合いで登るかという事で
決断した。アクの強さが抜けたFさんとならいいかというのもあった。

で、いざ登るとしても装備もなんもない。さてさてどうしたものか?と
インターネットを検索して、必要な装備がいるな。(Fさんからはザックなど
は貸すと言われたが、自前で買ってもいいやと思ったので、断った。)

という事で必要装備を買いに梅田の好日山荘へ向かった。当時はグランフロント
などなかったので、第二ビル時代の事だ。

で、高ぇえ!(これは今でも思う事) 

とビビった。そりゃそうだ。リュックサックなど2-3000円で買えると思って
いたし、運動靴で登れると思っていたくらいだから。

富士山に登るには結構金がかかる。まず、交通費、ホテル・山小屋代、だけで
数万はふっとぶ。ザック、トレッキングシューズ、ソックス、フットスパッツ
(砂が入るのを防止。)、雨具、その他色々、装備がなければ、10万円以上は
軽くふっとぶ。

が、まぁ、行ってしまえ!!と勢いで、

・ザック(今も愛用)
・レインコート(今も愛用)
・ホーキンスのトレッキングシューズ(今年退役)
・トレッキングパンツ(昨年お釈迦)
・ソックス(今も愛用)
・フットスパッツ(富士登山1回でお釈迦)
・酸素ボンベ
・その他(インターネットで要ると言われているもの)

確か7万円くらい使った覚えがある。(新幹線とかホテル代も合わせると
軽く10万円以上が吹っ飛びました。)山登りは案外金がかかるものだなぁと
いう記憶が今もあるし、実際、今でも遠征すると数万ふっとぶ事は明らかな
ので、山登りは金持ちの趣味(実際、昭和初期とかはそうだった)ですよ。

で、話を飛ばす。私は完全に従卒なので、プランなどは一切立てず、Fさんが
山小屋などの予約は全部してくれたので、ついていっただけだ。(今は自分で
計画するが)

で、朝、ホテルで朝食を済ませ、バスで富士宮口5合目まで行った。ここから
はその記録となる。

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1.富士宮口5合目。ここで金剛杖を買う。途中の山小屋で焼印を
押してもらう為とトレッキングポールの代わりになるからだ。
富士山登る時は金剛杖はやっぱ気分が出る。Fさん買わないんですか?
富士山初めてだからいい記念になりますよ。と聞いたが、そんな
杖なんかは使わん。との事。今考えると、Fさんはトレッキング
ポールとかは邪道という考えの山屋だったようだ。

私はバリバリ今でも二刀流で使っており、全く抵抗はない派だが。
まぁ、いい。ここで私が金剛棒を買ったのは後で大英断だった
事に繋がる。

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2.既に雲の上だったりする。地面はこんな感じの砂地が続く。
標高が高いので、植物もあんまり生えてない、虫もいないで、
登っていてあんまり楽しかったという記憶はない。半袖で登っ
たが、今なら絶対に長袖一択だ。紫外線がキツイから。

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3.終始天気はよかった。順調に登る。途中の山小屋で焼印を
増やしながら。

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4.どこまで行ってもこんな感じ。富士山は1回登れば十分だな。
と今でもそう思った記憶がある。多分、よほどの事がない限り
登らないだろう(世界遺産に登録されて人も多いし。)

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5.黙々と登る。

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6.この画像を見てもらえればわかると思うが、本当に
何もないでしょう?途中で無謀な若者、ヤンキー風のが2人
スーパーの袋持って、サンダルで登ってた。で、やたらに
無謀に飛ばすので、後で追いついた時、一人が高山病にか
かって、途中でぐったりしてた。危ないから、下山してはどうか?
と周りは言うが、連れは高山病のぐったりしてる友人に

へたれ、根性なし

と言い放ち、ぐったりしてる本人は

プライドがある。

といい聞き入れない。こいつら長生きできるタイプじゃ
ないな。と思った記憶がある。余計なプライドなど生きていく
上で何の役にも立たない。私は本人がそういうなら、そうすれば?
という感じでスルーするので、酸素ボンベは持ってたが出さなか
った。山小屋で買えば?とアドバイスはしたが。

私は今でも思うのだが、山登りには性格がでる。こういう
性格の悪いやつらとは絶対に登りたくないな。

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7.で、9合目の 万年雪山壮 に16時くらいについて、明け方まで
寝る事に。この山小屋というのが私は二度と泊まりたくない。という
トラウマになっている。

何故か?

おっさんのイビキが酷くて、一睡もできねぇよ!!グガーグガープフゥ!という轟音、そして時々死んだのか?と思わされる無呼吸。イビキが酷い奴に限って人より先に寝るんだよな。で、人の安眠を妨げておいて、自分だけ気持ちよさそうに寝やがる。舌打ちして、殴って起こしに行こうとしたら止められた。

というか、山小屋。雑魚寝で人と肩が触れる感じで寝かされるのだが、Fさんはいいとして隣のおっさんが俺のスペースを取ろうとしてくる。結局、寝れないし、押されるわで、朝まで山小屋のテーブルで過ごす羽目になった。(私と同じく、ナイーブな人は皆同じでテーブルのとこにいた。話すとやっぱり私と同じ意見だった。)

後、汗かいた後に風呂も入れずに寝る事になるし、着替えすらできん。ガサツな奴やら無神経な奴、図太い奴らはいいとしても俺みたいに繊細な人間には山小屋は無理。

5年経った今でもこれだけ山小屋がトラウマになっているというのがあるので、
私は多分というか、二度と山小屋には泊まらないだろう。山小屋では

耳栓必須!!!

あっ、別に私は接客が悪いとは思わなかったよ。ま、あんなもんだろ。
で、山小屋についてどう思っているか?は5年経過する今でもこれだけ
書けるので、ご察し願いたい。まぁ、耳栓なしで行けばわかるさ。

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8.で、一睡もできず軽い高山病で頭が少し痛いが山頂を目指して
行くことになった。AM04:00過ぎに山小屋出発。で、AM04:27分
にご来光。

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9.で、ご来光。天気がよくてよかったよ。別に山頂で見るとかこだわりが
ないので、これで満足。

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10.運よく影富士も見れた。

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11.で、夜も明けて山頂を目指す。が、、、、

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12.大渋滞。全く進みません。こういう時に必ず、順番を守れば
いいものを登山道以外を進むバカがおり、オッチャンが怒鳴ってた
なぁ。落石に原因とかにもなるし、当然だよ。こういうのがいるから
富士山登りたくないんだよな。

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13.山頂に到着。

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14.山頂は夏でも寒い。神社とか山小屋もある。

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15.実際の最高峰はこの行列の先にある。並ぶ気はないので、下山。
吉田ルートで降りて、河口湖の傍のホテルで1泊して帰る計画
とFさんから聞いていた。

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16.この殺風景な砂の坂を延々と下る。スパッツ必須。
ないと靴の中に砂が速攻入る。スパッツのゴムは帰宅後
みたら切れかけ。まぁ、500円もしなかったのでいいけど。

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17. 延々と似たような道を下り、うんざりしたのをよく覚えている。
とにかく風景が変わらないのがキツイ。

で、下山中にアクシデント発生。Fさんが滑ってこけた。私は杖を
使ってるのでブレーキかけながら滑り歩く感じだったんだが、Fさんは、
杖なんか要らん。という方針で買わなかったのだ。

18. 相当痛いらしく、歩けないらしい。近くの案内所まで私が戻り、
何とかならんか?(荷物運ぶ車が走っているから、事情話したら乗せて
もらえるかもと思った)と聞いたら、

 自力で降りて下さい。

の一言で終わり。自力で降りれないから言ってるんだよ。と。

後からわかった事だが、Fさん、骨折していたとの事。

でもまぁ、普通に降りたよ。よく骨折して、降りれたなと思うが、
本人も後で言ってた。で、私がザックなど荷物を背負い、Fさん
に杖貸した。というか、貸せ と言われた。

まぁ、歩けないと私も下山できないし、こんなの断れる訳もない
ので、貸した。

Fさん、私が杖を突いていた側と反対の方で杖使ってるよ。(記念
だから綺麗にしたかった。)

でも、まぁ、何も言えないよね。こういう場合。酸素ボンベも
貸せというのであげた。

私、装備フルで持って行ってたのと杖を買ったのは、本当によか
ったと思う。

19. で、何とか肩を貸すなどして下の方まで下る。Fさん、もう
歩けないという。流石におぶって歩けるほど私は力ないよ。

で、なんとさ、

馬がいるじゃないか!!(天の助け)

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20. 金を払えば馬に乗れる。馬に乗るFさん。荷物は当然、
背負ってもらう。2人分の荷物抱えての下山だったので、くたくた
だったよ。(俺の分も馬に乗せてくれてもよかったのに、、、)

というか、馬、俺が死ぬほど体力減ってるのに、何の配慮もなく
すたすた歩きやがる。

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21.馬を必死で追いかけて、バス停まで行きましたとさ。

22. で、河口湖の傍のホテルで1泊し、次は立山行こうな。と
して帰りました。

後日談

Fさん、熱が出ていたのは骨折していたからでした。ホテルでしんどい
といい、温泉はいらず寝てたもんな。

で、富士山登って2か月後、Fさん、癌の転移が発覚しました。手術
で切るところはもうないので、手術はなし。闘病生活に入られたの
で、立山に行くという事はかなわないまま2年後に永眠されました。

奥さん達には一緒に富士山に登った事についてとても感謝されまし
た。本人も存命中にお見舞い行った時、元気のある最後に一緒に富士山
に登れてよかったと感謝の言葉をもらいました。

私もこう言われると金はかかったが、行ってよかったと思います。
(感謝、感謝と口では挨拶みたいに言う人は沢山いるけど、これは
本当の感謝だったもんな。)
立山に行く約束が果たせなかったのは残念ですが、何時か立山は
私が行かないといけないですね。

で、この富士山登山ですが、

富士山に一度も登らぬバカ、二度登るバカ」

という言葉があるが、私もそう思う。日本人だから一回は登った
方がいいと思うが、一度登ればわかるように景色は延々と同じ。
下りもルートによるが、ひたすら砂地を下るという。人も多いし
、私はよほどの機会がないと行かないかな。六甲山の方がまだ楽しいよ。

最初に富士山登って上記のような記憶があるから、昨年まで山登りは
しなかったのかも知れない。

まぁ、とにかく、富士山は一度登れば十分。後、山小屋は耳栓必須。

コメント

  1. 花音 より:

    写真たくさんで詳しく富士登山が分かりました~。
    私はきっと行かないでしょう。笑
    思っていた以上に色々大変そうです。

    Fさん怪我して大変でしたね!
    一緒に行って差し上げて、結果的に良かったですね。
    いつか立山に行ったらまたご報告ください。

    大病とかして、悟っちゃったりすると天に召されちゃうかもしれないから
    私はこのまま暴れん坊でいようと思います。
    (病気しても何も変われていない。。汗)

    • 花音さん

      簡潔にコメントします。

      立山は行かないといけないなぁと心にずっと引っかか
      ってます。花音さんは悟らないでくださいよ。

      で、どうでもいいんですが、やっぱ山小屋は嫌だなぁと。